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密教は「危険?」「悪魔の崇拝?」
密教を信仰することに不安を感じている方のために、『密教』について説明させていただきます。
密教は秘密!
『金剛頂経』には、「密教を教えてはいけない」と書かれています。
「この毘盧遮那の三摩地の法は、まだ灌頂の儀式を済ませていない者に対しては、わずか一字といえども説いてはなりません。もし、本尊のお経や真言など、たとえ同じ教えの仲間であっても、たやすく説いてはなりません。もし、そのようなことをすれば、その人は、この世で若死にし、災いを招いて、死んだ後には無間地獄に落ちるのです。云々。」
※三摩地とは…サマーディ・三昧のこと。仏教やヒンドゥー教における瞑想で、精神集中が深まりきった状態のことをいう。真言密教の修法を三密加持(さんみつかじ)とか三密瑜伽(さんみつゆが)などと言いますが、精神を一点に集中する瞑想(三摩地・さんまじ)のことです。特徴としては、仏(本尊)の身(み)と口(くち)と意(こころ)の秘密のはたらき(三密)と行者の身と口と意のはたらきとが互いに感応(三密加持)し、仏(本尊)と行者の区別が消えて一体となる境地に安住する瞑想を言います。
密教の恐れられる理由が、この金剛頂経の一文です。
要約すると、灌頂を受けていない者には、「身口意の三密加治による瞑想を教えてはいけない。」ということです。
これには理由があります。
瞑想は、ブッダが誕生する以前から、バラモン教(現在のヒンズー教)で行われていました。ブッダも「瞑想」を取り入れて「さとり」を開いたことは有名です。
ブッダの時代には、簡単にできて効果のある三密瑜伽(ヨーガ)が流行し、人間的(魂)成長のための修行をしないようになっていきました。多くの僧侶が、昔のバラモン教に戻る傾向にあったのです。
そのため、ブッダはバラモン教を否定したのですが、三密瑜伽(ヨーガ)の効果だけは否定できませんでした。
その名残りとして、『密教』(大日経・金剛頂経)がありますが、誰でも修法は気軽にできないように戒めたのです。
しかし、『真言・陀羅尼(マントラ)』に関しては、般若心経では「ギャティーギャーティボーディ ソワカ」や、妙法蓮華経陀羅尼品第二十六の呪では「アニ マニ マネ ママネ、、、」と読誦しなさいと説かれています。
※真言は、、元々は、インドのバラモン教(現ヒンズー教)で「マントラ」と呼ばれる呪文でした。
【密教の灌頂儀式は方便の一つ】
このような密教の歴史について、空海が知らないわけはありませんでした。
空海は、著書『秘蔵宝鑰』の中で、金剛頂経の内容について次のように書かれています。
「(密教を)もしありのままに話してみても、信受する力のない人は、かえって仏教に疑惑を起こして、これをそしることになり、しまいにはそういう人々は、仏の性質を永遠に失った人となってしまい、無間地獄に堕ちることになってしまいます。このゆえに、この世の人々を救済するためにブッダ(大日如来の化身)も黙して、密教をあえて説かれなかったのであり、教法を伝える菩薩(ブッダの弟子)たちも、そのままにしてあえて密教を論じませんでしたのも、みな誤解を避けるためでしょう。」
『妙法蓮華経 方便品第ニ』には、次のように説かれています。
「お釈迦さまはこの法華経以外の経典で様々な人に、様々な教え『方便』を説いてこられた。殊に三乗への差別的教えをくつがえし、皆が「一仏乗」へと帰入することが出来る、「人類皆平等」という誠の教え、真実の教えが説かれる。それは「難解)」である、「覚悟して理解せよ。」
密教の形式は、『さとり』の境地へ行くための方便の一つなのです。
三密加治を行うと、瞑想効果が高まるかもしれませんが、何もしなくても『瞑想』ができるようになれば、真言(言葉)や手印(形式)は必要ないのです。
このことについて、空海は著書『秘蔵宝鑰』の中で、
「筏を使って向こう側に渡ってしまえば、筏はすでに捨て去るべきものです。それにいつまでも執着すべきものではありません。」と書かれています。
守破離の最終段階が「離れる」です。
密教が「秘密の教え」という理由には、もう一つあります。
それは、仏教で本来戒められている「性行」や「欲」をすすめていることです。
現在の真言密教では、「小欲を大欲に」「小楽を大楽に」というように、人間の本能を否定するのではなく、「覚り」によって人間的成長を促す教えです。
ところが、密教の仏像の中には男女が交わった尊像もあり、意味を取り違い、僧侶や在家信者が実際の性行為の言い訳にした過去があったようです。
※オウム真理教では、宗教を理由に性行為やポワもあった。
インドにおいてヒンドゥー教シャークタ派のタントラやシャクティ(性力)信仰から影響を受けたとされる、男性原理(精神・理性・方便)と女性原理(肉体・感情・般若)との合一を目指す無上瑜伽の行も無上瑜伽タントラと呼ばれる後期密教の特徴である。
男性名詞であるため男尊として表される方便と、女性名詞であるため女尊として表される智慧が交わることによって生じる、密教における不二智を象徴的に表す「歓喜仏」も多数登場した。
無上瑜伽タントラの理解が分かれていた初期の段階では、修行者である瑜伽行者がしばしばタントラに書かれていることを文字通りに解釈し、あるいは象徴的な意味を持つ諸尊の交合の姿から発想して、女尊との性的瑜伽を実際の性行為として実行することがあったとされる。
そうした性的実践が後期密教にどの時期にいかなる経緯で導入されていったかについてはいくつかの説があるが、仏教学者の津田真一は後期密教の性的要素の淵源として、性的儀礼を伴う「尸林の宗教」という中世インドの土着宗教の存在を仮定した。
後にチベットでジョルと呼ばれて非難されることになる性的実践は主に在家の密教行者によって行われていたとも考えられているが、出家教団においてはタントラの中の過激な文言や性的要素をそのまま受け容れることができないため、譬喩として穏当なものに解釈する必要が生じた。しかし、時には男性僧侶が在家女性信者に我が身を捧げる無上の供養としてそれを強要する破戒行為にまで及ぶこともあった。(ウィキペディアより抜粋)
以上のこともあって、性行為の表現が詳しく書かれている『理趣経』は、密教のなかでも特に秘密だったようです。
『理趣経』は、空海が最澄からの頼みを断った経典としても有名です。密教の深い意味が理解できない段階で、『理趣経』を見せると「最澄が誤解する」との恐れがあったと言われています。
密教は一子相伝の教えのはずでは?
※一子相伝とは、学問や技芸などの師が、その奥義、秘法、本質を自分の子どもの中のひとりにだけ伝えて、他の者には秘密にすること。
現在、真言宗の宗派は18宗あり、高野山真言宗の信者数だけでも4,561,680名。密教は一子相伝(秘密)ではなく、多宗派と同様に公の宗教になっています。
【空海までの密教が一子相伝(秘密)だった理由】
全てを明かすと誤解や危険が生じる為に、最初からは全てを明かさずに徐々に師匠から弟子へと一子相伝的に伝えていた。
「如来の秘密」の二点から、密教を一子相伝(秘密)にした理由について説明します。
1、衆生は、仏教の知識に乏しく智慧が伴っていないために、経典本来の意味が理解出来なかった。
2、如来(指導者)は、聞く者の精神力や技術が伴っていないので、難解な密教を教えてしまうとケガをしてしまう恐れがあるので順序だてて教えていた。
代々、天皇家も密教の灌頂儀式を受けていた
密教の即位灌頂は、歴代の天皇から明治天皇以前まで代々伝わっていました。明治に時代が変わる際の神仏分離、廃仏毀釈によって儀式は廃止されましたが、それまで、密教は天皇家でも信仰されていました。
※明治天皇からは、仏教信仰ではなく伊勢神宮参拝が実施されるようになった。
「即位灌頂とは、11世紀ないし13世紀から江戸時代にかけて、天皇の即位式の中で行われた密教儀式で、その内容は秘儀とされていた。一般的には即位式の前に摂関家、主に二条家の人物から天皇に対して印相と真言が伝授される「印明伝授」と呼ばれる伝授行為と、即位式の中で天皇が伝授された印明を結び、真言を唱える実修行為を併せて即位灌頂と呼んでいる。」(ウィキペディアより抜粋)
天皇家が、世間が心配するような「怪しい教え」を信仰するはずがありません。
密教を秘密にしていたのは、時代が影響していた背景があったからです。昔から受け継がれてきた経典には、最初に書いてあるような文章が載っていますが、仏教全体を学ぶと、ブッダの伝えたい真意が理解できると思います。
三摩地(三密)の新解説
密教では、身口意の三業を清浄にすることによって即身成仏が可能になると説きます。
身では印を結び、口には真言を唱え、意では心を禅定にします。
もう少し日常に近づけて表現すると
仏さまと同じポーズ(仏さまの様な行動をとり)で、仏さまと同じ言葉を発し、仏さまの様に慈悲の心に集中する と、言い換えても良いのではないかと思います。
仏教学者の中村元さんは
善とは「人を傷つけず、人の為になることを人の身になって考える」と言われていました。
それが仏道であり、仏道の実践が、日常での即身成仏でもあると思います。
(高野山真言宗 清瀧山 金剛宝戒寺HPより抜粋)
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