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ブッダの教え

はじめに

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はじめに

仏教の目的

さとり

仏教の最終目的は「さとり」です。

「さとり」とは仏の境地になること、すなわち「仏の心境」になることです。

「仏の心境」は、言葉を変えて言うと、極楽浄土、阿弥陀仏の世界、涅槃(ねはん)などいろんな呼び方があります。

では、人は何故さとりを得たいのでしょう?

現在の苦から解脱して、安心できる極楽浄土に生きたいからです。

一切清浄

釈迦が、人の一生を「生老病死の苦」だと言ったのは有名です。人は一生苦しみながら死んでいくと言ったのです。

本当でしょうか?

しかし、のちに釈迦(大日如来と同体)は、「この世は一切が清浄だ」と言いました。

この世に汚れたものなどはない。すべては清浄であるというのが、釈迦のさとりなのです。
※真言密教(弘法大師空海)の真髄


「一切清浄」の意味は、この世に「異なる二つ」は無く「本来は一つ」のものであるという、釈迦のさとりです。
※維摩経「不二法門」

人は煩悩があるため、本来一つのものを「人間と宇宙」、「物質と精神」、「生と死」、「煩悩と菩提」、「迷いと悟り」と区別します。

そのため、今生きている世界を(本来は清く安楽な極楽浄土なのに)地獄だと信じてしまっているのです。

人は、(自分の考えが間違っていても)目に見えるもの、耳に聞こえるものを真実だと疑いません。

その理由は、この世が「」だということを知らないからです。

五蘊(ごうん・心身とその作用)によって、本来のすがた(実相)が見えない。そのため、悪く見えたり、良く見えたりする。そのことが、良くも悪くも感情を動かすのです。
※般若心経

凡人の心

釈迦は、空を認識し一切清浄を悟れば、苦から解脱できると説きます。しかし、「釈迦の悟り」を開いた人は稀です。

(釈迦の悟りに最も近い)日蓮上人でさえも、「このままでは日本は滅びる」と極楽浄土を疑ったのですから。「一切清浄」を信じていたら、あのような言葉は出ないはずです。

それほど、釈迦の悟りは難しいのです!理想と現実はかけ離れています。

実際、私たちの心といえば、毎日コロコロと変わっています。ちょっと良いことがあれば喜び、悪い出来事に遭遇すれば落ち込む。これが、凡人の心なのです。

では、どうすれば、凡人の私たちでも、苦から解脱できるのでしょう。

執着

毎日コロコロ変わる心、「感情」をコントロールすることが出来れば、苦から解脱することが可能になります。

感情は五蘊(心身とその作用)によって生まれます。本来、心身なんてものには実体はありません(空)。

ですから、すべての想いや感情はウソ(妄想)です。善いことも悪いことも妄想なのに、そのウソに振り回されているのです。

頭のいい人が、何故そんな単純なウソに騙されるのだと思いますか?

その原因は「執着」です。(仏は、経典にも執着してはいけないと説いています)

元々実体のないものなのに、「ここに存在している!」「自分を信じてる!」と執着する。そのため、何をしても悪い方向へと行くのです。

※縁起…縁によって原因と結果が繰り返される。悪循環と善循環。

自由自在になる

ここまで説明を聞くと、どうすれば良いか想像できると思います。

凡人の心はコロコロ変わるものです。その原因はウソを信じていたからです。状態が良い時には仏の心になり、状態が悪くなると悪魔の心になる。これが凡人の業障です。

しかし、このコロコロ変わりやすい心を利用しないのは愚かです。

状態が悪い時には、仏に手を合わせて仏の心境になれば良いのです。良い状態の時でも仏と一体化すればより良い方向に向かうことができます。

しかし、ここで注意しないといけないのは、たとえ仏や神であっても、それに囚われてはいけません。それが執着だからです。

釈迦のさとりである「極楽浄土」に行くためには、自由自在になる必要があります。

たとえ善であっても、達成したら一度離れてみる。そして、また「極楽浄土」に進むのです。

※極楽浄土…清浄と平等、自由の世界、そこには、あらゆる天界の如来、神、仏、菩薩が集まって遊んでいる。

究極のさとり

人は、成長するようにできています。
はじめは、生活が安定するために一生懸命に努力します。生活に余裕が生まれると、美味しいものを食べたり、きれいな洋服を買ったり、旅行したいと思うようになります。

悩み苦しんでいる時は毎日が地獄ですが、小乗のさとりを得ることができると、精神的な苦から解脱します。

しかし、たとえ苦から抜け出ることができても、その状態は空虚でむなしいものです。

人が幸せな時というのは、目的に向かってワクワク動いている時です。心がワクワクするものは多くありますが、心からワクワクするのは、大きな目的を達しようとする時ではないでしょうか。

それは、困っている人を救う、多くの人たちを喜ばす、そういう大乗の目的に向かう時です。

いわゆる他者や社会への貢献です。本気で大乗を考えるようになると、天界の如来と仏、菩薩たちみんなが喜んで助けてくれます。それが究極のさとり「菩薩の境地」です。

始めは欲深い凡人であっても、「さとり」を得ると、生きたまま仏や菩薩の境地になれます。

空海は、低次元の心の世界から高次元の心の世界へと次第に進展し向上する過程を、仮に十段階に分けて「十住心論」に著しています。

十住心論


釈迦のさとりには終わりはありません。ずっと安楽で幸福だからです。休まずに進みましょう!
※華厳経「入法界品」より
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